本研究は、特異な形態の橋梁=屋根付橋について、前近代の中国福建省を地域的対象とした考察を目的としたものであるが、同時に他地域 (華中南諸地域および日本・ヨーロッパ等)との比較史的アプローチをも試みたものである。本年度は、第一に、前近代福建の屋根付橋に関する文献史料および現存する屋屋付橋の情報の収集を中心的に行った。そして第二に、日本の愛媛県および奈良県に現存する屋根付橋の実地調査を補助的に行った。これらの作業から得られた知見はきわめて初歩的なものであるが、以下の如くまとめることができよう。 1、福建の屋根付橋の分布に関する定量的分析を行うために、まず明清時代の豊富な地方志の中から、特に内陸地域を中心とした50種類に及ぶ地方志の関係史料を収集したが、ほぼ全域において屋根付橋の存在を確認した。例えば、明代後期の順昌県(延平府所属)では全34橋のうち15橋が、同じく〓平県(〓州府所属)では全9橋のうち6橋が屋根付であるというように、各々の地域=県で屋根付橋がかなりのパーセンテージを占めていた。また、各地方志によれば、県城を囲む護城河に架設された橋梁の多くが屋根付であり、城壁・城門を含めて屋根付橋が地域的景観の中で表象的建造物を構成していたと思われる。他方、明清以来の屋根付橋の現存がいくつかの地域で報告されているが、特に永春県の東関橋(古称は通仙橋)はスケール(長さ85メートル)および橋上廊屋の形態から見て、前近代福建屋根付橋の典型といえよう。 2、わが国の愛媛県、特に南伊予の肱川流域には4ケ所の屋根付橋と1ケ所の遺構とが見られる。共に橋梁技術的には橋脚が単純な片持ち形式のものであるが、特に内子町河内の田丸橋はスケールこそ小さいものの、形態的には福建の屋根付橋ときわめて類似したものと思われる。
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