1)最初に行った作業は、記載文字が読み取り得る27葉の獣皮紙断片に記されている全ての濃民の名前と、彼等がサン=マルタン修道院に支払っている現物貢租の種類と数量のデータベースを作成する作業である。総計1456農民について、それぞれがどのような穀物をどれだけ修道院に納付しているかの全容が数量化されたデータとして完成された。2)続いて、リストの中での農民の地域的グルーピングを踏まえて、個々の地名の現在地比定を行った。この作業に関してはこの史料の刊本の編者により全体の三分の一に当たる約40ほどについてはなされているが、残りの80については依然現在地の比定が成功していない。われわれは5、6の地名について独自に新規の比定を行った。 次に1)と2)の作業を結び付けるべく、現在地比定の成功している地名をフランス国土地理院作製の十万分の一の地図をもとに作成したコンピュータグラフィック地図に載せ、かつ農民の穀物貢租の数量データを併せて載せた。その結果、7世紀末のフランス中部のロワール河流域地帯における穀物栽培の地方ごとの差異がはっきりと浮き彫りにされた。また中世初期経済史において通説となっている、三圃農法のカロリング期開始説の再検討を促すような所見をも得ることができた。すなわちカロリング期にフランク王国の中核地帯となる北フランスに先立って、ロワール河地方で三年輪作がすでに実施され、かつ前者では大麦と燕麦とが輸作穀物として主要なものであったのに対して、早期に三年輪作が行われたと推定される後者では、小麦と燕麦が組み合わされたことなど。
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