本研究の課題は、約20年前に「発見」されたメロヴィング末期の7世紀末にフランスのトゥールのサン=マルタン修道院で作成された所謂「会計文書」を可能な限り多角的に解析し、史料的にきわめて限られているこの時期の西欧における社会構造を明らかにし、また農業生産の具体的な水準などを確定することであった。 作業の手続きとして、まず第一にこの文書の書冊学的、古書体学的分析を行い、これがおそらくはローマ後期の租税関係文書の系譜を引く、トゥールの市政文書に由来するものであろうという仮説を提示した。 第二に、「文書」に記載されている地名の比定を行った。これはフランス国土地理院から発行されている地誌図ならびに18世紀に作成された「カッシーニの地図」を用いた。 続いて農民一人ひとりが納付している穀物貢租の種類と量から、その生産量を割り出し、更に貢租と翌年の種播き用の種籾などを控除した消費可能な穀物の扶養力を、カロリー計算とパンによる摂取形態とで総合的に判断すると1世帯当たりの家族成員が約4人が平均値であったことが知られる。農民の家族形態は、明らかに核家族形態が中心であった。 第四に、穀物の栽培形式と生産量から、三圃農法の実践如何の点を検討し、トゥール地方では夏穀の大麦が播種期を徐々に繰り下げる形で春穀に転化し、三年輪作システムが中規模経営の農民層から始められたらしいことが窺われる。
|