初年度は著書『内村鑑三論』をまとめ出版することができた。内村鑑三は、筆者(道家)の思考の根底をなすもので、ミルトンは言うに及ばず、内外のあらゆる詩人・思想家を扱うに際しても、潜在的に、また場合によっては顕在的に、内村との比較を行なってきた。それゆえ、その内村を対象にして、彼の死生観、文学観、ヨーロッパ観、科学観を考察した。 次年度は、「ミルトンとラムス論理学」を発表することができた。ラムスの重要性は、わが国においては、まだ十分に知られていない。聖バルトロメウス祭の虐殺で殺された。このフランスの哲学者は、中世スコラ哲学のアリストテレス論理学に代えて、プラトン的弁証法の問答的研究法即ち選言的二分法を提唱した。これが文芸復興・古代復興の時代精神に投じて、牧師・法律家に歓迎され、英米においては、ラミズムがピューリタニズムと同義語になるほどであった。ピューリタニズムの本拠、ケンブリッジ大学は当然ラミズムの最大の発信基地となり、シドニー、マーロウ、ミルトンに影響を与えた。上記の拙論では、ラミズムが「論拠の発見」「選言的二分法」「修辞学の復活」という三つの観点から、如何にミルトンの詩に影響を与えたかを論じた。
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