初年度は、著書『内村鑑三論』をまとめ出版することができた。内村鑑三は、筆者(道家)の思考の根底をなすもので、ミルトンは言うに及ばず、内外のあらゆる詩人・思想家を扱うに際しても、潜在的に(また場合によっては顕在的に)内村との比較を行なってきた。それゆえ、この際、その内村を対象にして、彼の死生観、文学観、ヨーロッパ観、科学観を考察した。 次年度は、「ミルトンとラムス論理学」を発表することができた。ラムスの重要性は、わが国においては、まだ十分に知られていない。聖バルトロメウス祭前夜の大虐殺で殺された、このフランスの哲学者は、中世スコラ哲学の根幹をなすアリストテレス論理学に代えて、ソクラテス・プラトン的弁証法の特徴をなす問答的研究法、すなわち選言的二分法を提唱した。これが古代復興、文芸復興の時代精神に投じて、牧師や法律家に歓迎され、説教壇や法廷を席巻する支配的な論理学となった。英米においては、ラミズムが、ピューリタニズムの同義語として用いられるほどであった。ピューリタニズムの本拠地であったケインブリッジ大学は、当然ラミズムの最大の発信基地ともなった。同大学に学んだサ-・フィリップ・シドニー、クリストファー・マーロー、ジョン・ミルトンらは、若くして、この論理学の影響をうけることになった。マーローには、『パリの大虐殺』という戯曲があり、そこにはラムスがひとりの登場人物として登場する。ミルトンには『ラムス論理学教程』というラテン語の教科書がある。上記の討論においては、ラミズムの特徴を、「論拠の発見」「選言的二分法」「修辞学の重視」という三点にしぼり、そのような観点からミルトンの詩が如何に解釈されるかを論じた。
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