平成4年度の研究は、フランス17〜18世紀文学の展開と特質を歴史的にとらえなおすためには、その前提として「近代」と呼ばれる時代の意味を再構成する作業が行われなければならないという問題意識のもとで開始された。「近代」の生成とは、伝統的な国家=政治社会が公的な権力・統治機構としての「国家」と私的な経済社会としての「市民社会」に引き裂かれていく過程のことにほかならないのだが、これは言葉を換えれば、文明的秩序の出現ということである。そこで、私は、文明化という現象を総体として理解するために、ノルベルト・エリアスの著作を検討しなおすことを思いついた。『文明化の過程』(上・下)、『宮廷社会』は、邦訳が存在するけれども、文学作品を含むフランス語史料の引用を多く含むこともあって、私はこれら二つの浩瀚な書物をフランス語で読むことにした。この作業を成しえたことは、本研究にとって、大きな意味を持ったと思っている。エリアスによれば、「文明化の過程」とは、貨幣経済の進展とともに人間関係の「編み合わせ」が次第に複雑化し、その結果として人間の「心的機構」(情念の自己コントロール)と関係性の質(本質と外観の分離、疎外)に不可逆的な変容が引き起こされる事態を指している。エリアスのこのような指摘は、文明的秩序の自己意識としての「文学」を把握するためのきわめて有効な視点であると言えるだろう。私が、ルソーの『人間不平等起源論』を、一つの「文明化の過程」の記述の試みとして読みといてみようと考えたのは、まさにそのような観点からであった。ルソーの社会批判は、何よりも、文明的な秩序とその精神的な帰結への激しいいらだちだったのである。
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