研究初年度(平成4年度)の研究目標として掲げた項目のうち、ビューラーの言語理論的考察の展開を追う作業については、ビューラーの『心理学の危機』(1927年)の日本語訳を作成することをペース・メーカーとして設定して行なった。フロイトの精神分析に対する批判にも見られるように、ビューラーの生涯にわたる学問的関心の中心には、人間の創造的思考に対する深い畏敬の念がある。フロイト批判においては機能させることの喜び(Funktionslust)の語として主張されているものである。このビューラーの考えは、人間の活動が単なる生存のみを目的とするものではなく、高次の精神活動を目指すものであるとする、ウィーン学団の中心人物のひとりであるM・シュリックが『倫理学』の中で展開している考えと非常に近い関係にある。以上の内容をまとめたのが「ビューラーとフロイト」と題する論である。また、この人間精神の創造性の発現が、思考心理学においては、人間の抽象能力に基づく創造的思考型(仮説法=Abduktion)の発見につながり、『言語理論』においては、その抽象能力の発現として「抽象の有意義性の原理」を基本原理の一つとして提示している。これによってビューラーは、N・トルベツコイとならんで、音声学(Phonetik)に対立し、自立性を主張し得る音韻論(Phonologie)をともに築き上げる作業に乗り出す。以上の内容を報告したのが、1992年11月7日岡山で開催された日本独文学会中国四国支部学会での発表「抽象の有意義性について」である。また、「現代における不安を考えるために」は、ビューラーのフロイト批判、行動主義批判の基底にある現代社会に対する洞察の先見性を探ろうとする意図からの作業である。『ドイツ言語学辞典』の6項目については、植田のビューラー研究の成果を基礎に、最新の内容を記述した。研究は、平成5年度においてもさらに続行される。
|