(1)1992年には、私有化のテンポが鈍化したため、その原因をめぐる議論を検討した。多岐にわたる原因のひとつとして、法制化の停滞(論争が続いている全市民的私有化計画および旧所有者への返還=再私有化についての法律の未成立)があげられている。 (2)1993年にはいると、その法制化に関連して、私有化が改めて政治問題化したので、その過程を分析した。主な論点は、(1)政府・労組・使用者団体の3者間で「国有企業についての協定」が締結され、私有化にさいしての特典を付与することをつうじて、国有企業の従業員集団が私有化過程に引き入れ、この過程を加速化する意図が示されたこと、(2)全市民的私有化計画にかんする法律が成立したが、審議の過程で少なからぬ抵抗が示され、政府案はいったんは否決されて修正を余議なくされたこと、(3)93年9月に実施された議会選挙において、私有化の進め方の問題は、前回選挙にもまして重要な争点のひとつとなったこと、(4)選挙の結果成立した農民党・民主左翼同盟連立政権は、前政権までの私有化政策の転換を主張する前者と継続に傾いている後者との対立を含んでいること、である。 (3)これまでの研究を、私有化法Iの制定→私有化の実施→実施状況にたいする各方面の評価→政党の政策への反映→私有化法IIの制定というプロセスを分析する「私有化の法社会学的研究」としてまとめる見通しをえた。1994年度にはポーランド現地での研究を予定しているので、そこで得られた知見・資料を付け加えたうえで、論文としてまとめる予定である。 (4)9月に、ロシア極東の沿海地方で現地調査をおこない、地方の私有化担当部局の責任者からの聞き取りをおこなった。ロシアでは、制度上はポーランドよりも先行している面があるが、大統領令による決定という手法が多用されているため、(3)で述べたようなフィードバック過程は、いまのところ明確には看取されない。
|