1991年に南アフリカ共和国政府は、それまで続けてきたアフリカ人を差別する、アパルトヘイト政策の廃止を決定した。そして、その年の国会で、最終的にアパルトヘイト法体系の基本法ともいうべき、土地法(1913年)、集団地域法(1950年)、人口登録法(1950年)などを廃止した。こうして、その数80余に及んだアパルトヘイト法は消滅した。この研究はこの時点から進行している、制憲会議実現の過程で、どのような政治、社会の事情が存在しているか、そして、その事情がこれから人種混合社会になっていく南アフリカにとって、どのような影響をもたらすかを、考察することにしている。 アパルトヘイト法が消滅しても、アフリカ人を除外した白人、カラードそしてインド人による三院制の国会は、そのまま現在でも機能している。したがって、国会がさらに積極的に人種平等の法律を制定する力は弱いともいえる。人種平等の憲法制定のための制憲会議の設定が難航しているのも、このような事情があるからである。いま一つ難航している理由に、アフリカ人同志の対立がある。1990年の反アパルトヘイトの政党が合法化された。これらの政党のうち、ネルソン・マンデラを議長とするANCが、最大の政党として現在でも政府との間の交渉にあたっている。これに対して、同じアフリカ人政党のインカタ自由党は、白人政府寄りでANCと対抗している。アフリカ人の政党同志の対立は、アフリカ人にとっては不利なことであるが、このような状況は、これまでのアフリカ諸国の独立のときにもよくみられた、部族の主導権争いの性質をもっているようである。それだけに、和解もまた困難で、政治、社会の改革に大きな障害となる。 本年度のこの研究では、制憲会議が誕生し、新憲法が制定されるまでの間、ANCと政府、インカタ自由党との関係について分析を試みた。
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