過去3年間にわたって上記研究課題に関する研究を行い、得られた結論として重要なものは以下のとおりである。 農奴制の廃止に際して現実に問題になっていたのは、これに伴う混乱を最小限にとどめ、農民の新しい地位に応じた社会制度の再編を行ない、新しい領地経営と地域管理のシステムへと領主貴族を誘導することであった。 また地域管理に関しては、これまでのような警察的手段による直接的なやり方から、一定の行政機能の社会への移譲と通貨の流れの統制による間接的なやり方への移行に伴い、内務省の経済部門の大蔵省への移管が必要になっており、それを円滑に進めることも重要な課題であった。 しかし代表制はこのような課題に必ずしも答えるものではなかった。それゆえ大改革期において一部貴族により貴族の政治参加を保障する代表制度の要求が出されたとき、それは広汎な支持基盤をもたなかった。 また議会制が円滑に発足するためには、地方と中央を結びつけることのできる地方の指導層(名望家層)の存在が不可欠であった。しかしロシアの領主貴族というのはこの役割を十分果たすことのできるものではなかった。それゆえロシアにおいては自由民主主義の制度的基盤である議会制の発足が円滑に行われなかった。ロシアにおいてこの制度が創設されたときには、既に工業化が進行し、社会構成が複雑になり、地主と農民、農業と工業、都市と農村の対立が深刻になっていた。これを調整することは発足したばかりの議会にとっては重すぎる課題であった。 またロシアにおいては貴族主義ジャーナリズムの影響力は小さなものであった。それはそこで取り上げられたのが多くの貴族にとって真に切実な問題ではなかったことによる。ロシアの自由主義はむしろこれと別な流れとして存在した。
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