東アジアNICsの代表たる韓国、台湾の経済発展は世界的な注目をあつめているが、その関心は1960年代以後に限定されている。また、両国の植民地時代の経済史については研究成果が蓄積されているが、戦後の高度成長とは全く別の次元で扱われている。本研究は、東アジアNICs成立の要因を長いスパンのなかで解明するために、1945〜60年という研究の空白期の経済について比較史的に検討するものであった。 従来この時代の問題は、あまりに国際政治の枠組みのなかでのみ扱かわれてきた。東西対立を軸として中国革命、朝鮮戦争等によって、戦前との断絶的側面だけが強調されてきた。しかし一国史的にみると、植民地時代の社会構造のあり方、とりわけ工業化が一定程度進展していたことが、戦後両国の工業発展を大きく規定したという次のような連続面が浮かんでくる。(1)日本敗戦直後の工業生産力の崩壊という通説は事実にあわず、一時的な生産萎縮はあったものの、両国とも47、48年には戦前ピーク時の生産高を回復している。(2)故に、その生産施設のうちで圧倒的比重をもっていた日本人・企業の財産の処理が決定的な重要性をもっていた。そして、韓国ではその帰属財産の払下政策によって、政商から財閥が台頭してきたのに対し、台湾ではその多くを政府が直接経営したため公営企業優位という経済構造の特徴がうまれた。(3)それに、戦前植民地期を特徴づけた地主制の解体政策においても、農地改革で地主に交付された地価償還証券が、その帰属財産払下資金に充当させる借置がとられた。植民地期に地主制のもとに蓄積されていた富が、地主制廃止によって、資本主義的資本に体制的に転化したといえる。このような3つの転回軸によって、両国は戦後パップス・アメリカーナに編入された後に、一挙に急速な資本主義発展をとける条件をそなえることになったのである。
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