我国の国家規格は大正10年の「工業品規格統一調査会」の設立から始まり、翌年に日本標準規格(JES)として制定が行なわれた。建築関係の制定では主に煉瓦関係が該当するが、上記の統一委員会にあっては、第二部の鋼材以外の材料を扱う部局に含まれ、土木・建築関連を独立して扱う部局は設けられていなかった。建築関係が規格制定に関して独自の部局(第5部)を持つのは昭和17年からであり、戦争に入り、資材節約や代用材料の使用が中心となる「臨時日本標準規格」時代に該当する。この部にあっては建築学会内に設けられた「戦時建築規格作成委員会」の審議内容が中心をなし、戦時規格の原案とするプロセスがとられた。また臨時建築規格は計画規格・構造規格・造作建具及び雑種構築物規格・材料規格の4つから構成され、JES時代とは異なり、単なる材料の分野に留まらす建築計画的な分野に包含していた点に特徴がある。火急的な制定が求めらていた時代にあって建築計画までが制定できた背景には、昭和16年頃に学会誌に連載された資料集成の成果があり、これの準用が迅速な制定の礎となった。戦後になり新たな日本規格(新JES)となったが、建築関係にあっては、材料強度や構造応力、居住水準の数値などを別にすれば(正常なものに戻すこと)、大略臨時JES時代の研究成果がそのまま使用され、今日の日本工業規格の出発点にもなっていた。 国家規格を扱う政府の部局に関しては、主に商工省が関係するものの統制局、総務局、技術院などに移り変わり、国家の緊急的課題と規格化が密接な関係にあることが明らかになった。
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