我国の工業標準化は、大正11年の「金属材料抗引試験片」から始まるが、その規格決定は前年に勅令第164号により設置された「工業品規格統一調査会」によるものである。以後、昭和25年に日本工業標準法が制定されるまでは、この機関が中心となって規格制定を行なってきた。従って工業品規格統一調査会の審議内容やその組織の変遷は、時代毎に求められた国家規格の有り様を示していると言える。今年度の研究では、特にこの調査会の実行機関である下部組織の実態を明らかにした。調査会は、その下には分野別の規格策定を行ない、実質的な決定機関である四つの部会、第一部会(金属関係)、第二部会(金属以外の材料)、第三部会(電気機械器具)、第四部会(一般機械)が設けられ、さらに各部会の下には、原案作成を担当する委員会が設置された。昭和10年代も半ばになると戦時体制に対応すべく、臨時委員会が加えられ、建築関係では、「建築統制に関する件」の閣議決定を受けて、昭和17年に第二部会の中に「臨時第六委員会(建築)」が設置された。この臨時委員会は、平面計画を基とした建築計画とこれを達成するための設計方法の確立並びに構造・材料・仕様等の細部にわたり、かつ総合的な規格作成を目的とするもので、他の材料別に設けられた委員会とは性格を異にしていた。昭和19年になると、臨時委員会が多くなり煩雑になったために、委員会は整理統合され、建築関係では、臨時の名称がなくなり、第二部会第203委員会と常設になった。また同年には、応急建設に係わる規格を一元的、速やかに制定する必要から、新たな第五部会(建築)が誕生した。この部会の増設は工業品規格統一調査会発足以来のものであり、戦時態勢という特殊条件下ではあったが、総合的な規格策定を扱ったことに意義があった。建築関係の規格策定組織の変遷より、総合的な立場から規格を扱うことの重要性が明らかになった。
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