英国の建築教育の歴史的背景の主要な流れを把握するため、まずRIBAの建築教育誌に掲載された諸論文を中心として検討し、その主要な論文の翻訳をおこなった。これにより、1958年のオックスフォード会議から1970年のケンブリッジ会議にいたる、建築教育にかんする討議の経緯が明らかになった。その要旨はおおむね次のとおりである。 (1) オックスフォード会議の主な目的は、それまでほとんど自然発生的に発展し、多様化するにまかせていた建築教育機関を、大学レベルとこれに及ばないその他のレベルの二グループに区別し、前者の学生のレベルアップを通じてRIBA会員建築化の質向上をはかることであった。 (2) そのねらいはおおむね成功し、RIBAが建築教育に対して指導的な力をもつことになった。しかし、建築教育の主体として、建築家(実務家)と学者(とくに研究者タイプの人々)との対立があり、これについては解訳が見られず、ケンブリッジ会議にもちこされることになった。 (3) ケンブリッジ会議においては、この論議に参加する人数もふえ、学生代表まで参加して、多彩なメンバーによる討議となったが、RIBAのコントロールを逸脱した形になり、研究者の主張と実務家の主張はかみあわないままで会議を終了した。 (4) 以後、こうした議論は低調となり、以上の結果が大学と職能の間の微妙な力関係に長く影を落とすことになる。現在の英国の建築教育における大学とRIBAの関係を理解するには、上記の経緯を理解することが不可欠である。 (5)以上を、平成5年度の日本建築学会大会学術講演として公表する予定であり、更に平成5年度は、ロンドン大学バートレット・スクールにおける1960年代の建築教育改革の経緯を明らかにしていく。
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