建築の彩色と文様は年代的にみると室町時代以降に、特に神社建築一本殿に顕著にみられ、地域的には畿内に目立つ。京都・奈良・大阪・和歌山をみると、大阪周辺の重要文化財指定の遺構、ないし近世初頭の遺構に極立って認められる。室町時代の重文指定遺構についてみると、現在、極彩色の施されている遺構の多くは後世のものであることが判明し当研究の困難さを改めて感じたが、それだけに研究の必要性を認識した。 しかし一方で、彩色が失なわれながらも、風触差によって文様ー例えば柱頭に施される金襴巻、長押の隅角部に施される入八双の金具形の文様などは、柱に平行光線をあてることで明らかになる例があり、当初の色彩は失なわれていても、文様が判明する例のあることがわかり力を得た。こうした彩色・文様は数次にわたり修覆されている場合が多いが、判明するのは現状ーそれも剥落している場合が多いが、と当初の文様がわかるのみであることが多く、それだけに現状の彩色・文様を重視し写真撮影等によって資料化する必要性がある。しかしそれには重文指定の遺構のみの調査だけでは明らかに不十分で、各地で確認されている未指定遺構を加えて、それが当初からかどうかを判定しつつ、資料に加える必要性があり、特に大阪府下での調査と和歌山県北部ー特に大阪と隣接する区域の遺について調査・検討することを次年度にも継続したい。 これまでの結果を総合すると、神社本殿の彩色、文様のピークは桃山時代であったと考えられ、壁面に絵画を大胆に描く。また各部に描写される文様はかなりパターン化されるようになるが、長押ばかりか頭貫に文様を描く例も早くからあり、桁にしても正面だけでなく、下面・裏面にも描くものがでる。また、背面や側面の慕股を絵で描写するなど、神社本殿における正面性の強調ないし、背面の意匠の省略といった傾向が読みとられる。
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