本研究は寺院と神社につけられる建築装飾彩色のうち、神社本殿について検討を加えたものである。神社本殿は当初、素木造のものと丹塗のものが存在した。組物は舟肘木であったが、組物や中備である蟇股を導入することで、繧繝彩色や極彩色を組物や彫刻部分に施すようになったと考えられる。 彩色紋様は修理や屋根替えの折に塗り替えられるために古いものが残りにくく、現在、桃山時代位までしか、当初の彩色紋様は遡りえないと考えられる。そのため、まず室町時代後期の状態を追求するためには、寺院仏堂内にある厨子や宮殿の彩色紋様を調査する必要性が明らかとなった。また、近畿地方の神社本殿の遺構を調査してみると、例えば和歌山県下の遺構の多くは極彩色を施した華麗なものが多いが、いずれも江戸時代後期のもので、建物の建立年代まで遡りうる例は認められなかった。しかしながら、本研究を通じて建築装飾彩色と建築様式に深い関連の存在することが確認されると同時に、中世仏堂の内部にも金襴巻のように同種のものが残されており、これらと補完しあうことにより、古建築全体の建築装飾彩色について明らかにしうるのではないとの感触もうることができた。 加えて、仏堂にも丹塗のほかに素木造とする例も多く、その場合、内部の彩色はどうなるか、などの問題についても基礎的な調査の必要性が判明した。 神社本殿の彩色紋様は遺構の上ではその頂点が桃山時代とみられるものの、文献上は鎌倉時代より認められ、応永年間頃には地域差はあるにしろ、彫刻細部を多くもつ本殿は極彩色を施され、彩色紋様も施されていたものと推定された。
|