本研究は1991年に発見された三重県上野市の城之越遺跡の湧水と流れからなる祭祀遺構を、7・8世紀の庭園遺構との関連においていかに考えるかが発端になっている。この関連を明らかにするために、城之越遺跡を含めた日本の11遺跡と韓国の1遺跡、計12遺跡を選び比較検討した。 比較検討結果 (1)湧水施設 湧水施設では城之越遺跡の略円形の石張りの小池は自然発生的な古式であり、方形の石組の小池である阪戸遺跡・南紀寺遺跡・上之宮遺跡の3ヵ所は後の閼伽井につながる、より新しい形と考えた。同時にこの方形の石組小池が7世紀の島庄遺跡や石神遺跡の方池の起源であろうと推定した。 (2)流れ 流れは4遺跡それぞれ異なり、これらのみからでは変遷を明らかにし得ないが、島庄遺跡の流れは他の3遺跡とは起源を異にすると考えられる。島庄遺跡が自然の渓流を基とするのに対して、他の3遺跡は人工的要素の強い流れとなっている。 (3)方池の起源 方池の起源としては、(1)湧水施設として作られた方形の石組小池、(2)朝鮮、高句麗・百済の蓮池、(3)阿弥陀浄土図などに見られる浄土世界、の3案が考えられるが、前述のように飛鳥地域の7世紀の方池は古墳時代以来の湧水施設が起源であるとの結論に至った。 (4)曲池の起源 曲池のモチーフとなっているのは自然景観である。ただし、この自然景観が単なる自然理想郷のようなものであるのか、神仙思想にもとずく理想世界であるのか、仏教の浄土世界または須彌山世界を表現したものであるのかなど、これを発掘された遺構のみから推測するのは危険である。日本の曲池の起源については今後、上記の観点からの研究を深めるべきであろう。
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