わが国における農民層の分解は、1900代の前半まで、中農層への標準傾向で一貫していた。変化は1960年代からの高度経済成長によってもたらされた。経済成長は農業部門から大量の労働力流出を必要としたからである。その結果二つの大きな変化が生じた。 一つは、多数の兼業農家と少数の企業的農家への分化である。今一つは、伝統的な農村家族形態の変容である。この二つは密接に関連している。 労働市場の拡大は農家の若年層に職業選択の自由を与えた。農業という家業を中心にまとまっていた直系家族は、その結合のきずなを失う。親世代と子世代で、あるいは夫婦の間で、別な職業を選択することが常態化する。その結果、農家の家族形態は、(1)親だけ残された高齢者世帯 (2)親だけが農業に従事する高齢者農家 (3)親世代と子世代ともに誰かが農業を維持している兼業農家 (4)親世代と子世代が別々の農業部門を持つ専業農家 (5)親世代子世代が一体的に農業経営を行っている専業農家へと分化しているが、稲作では(3)の比重が圧倒的に高い。高産、施設園芸では(4)と(5)が主流である。稲作でも(1)と(2)の離農、(4)(5)へ農地の集積が進展している。若年経営者の多くは(1)を選択し、その一部は、企業化を目指して法人を組織している。 高産、施設園芸の法人化は一戸一法人が多い。経営は給料制、休日等を意識しており、家族関係の近代化を合せて進めている。 稲作では、青年農業者だけが集まって大規模な稲作経営を目指す法人化(企業的、革新的法人化)が注目される。生活する場としての家族と報酬を得る場としての農業経営の分離が明確に意識されており、今後、一つの、大きな潮流となるであろう。
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