我が国における不可逆過程論は、Fluctuation-Dissipation Theoremを重視する立場から線型応答理論として統計力学的に研究されてきた。線型応答理論は、初期分布関数としてCanonical Density Matrixを用いるとき最も簡潔な関係式(定理)に整理することができた。また、KMS状態という基本的な概念をも確立した。しかしそこには、散逸性の概念は存在するが、Entropy Productionの概念は明示的ではない。従って、線型応答理論の結果は新しい物理的原理を意味しているのか、それとも既存の原理からの帰結なのか明確ではない。もし後者であるならば、外見上の普遍性にもかかわらず線型応答理論は空疎なものに思えるであろう。具体的な応用によってその正しさは検証されなければならないからには、そのことを可能にするような新しい結果が含まれていなければならない。この辺りのことがどの様に展開されてきたかを整理しておきたい。 筆者は以前から不可逆過程論に関心を抱いてきたので上記の論争にも大いに興味を持ち出来る限り科学史的資料の収集に努めてきた。その結果、論点となっているのは不可逆過程論に現れてくる統計性の介入をどのように理解するかという点にあることに気が付いた。Nakanoは力学の原理と熱力学の原理の関連性に理論的解析の重点を設定していたので、Liouville-von Neumann方程式と(線型化された)Boltzmann方程式との間には形式的一致以上に物理的内容(力学理論に確率が介入してくるシナリオ)が存在する点に理論的考察の重点を置いていた。
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