研究概要 |
第一次世界大戦直後の「理化学生徒実験奨励」は,1917年の帝国臨時議会による師範学校・中学校への理化学生徒実験設備補助費支出決議とそれを受けて出された「中学校/師範学校物理及化学生徒実験要目」(1918年)に端を発している。しかし,その奨励の効果は,中等教育以上に初等教育における実験室教授の普及と理科実験教授法研究の高揚を生み出した。その背景を追跡することに成功した。 つまり,(1) 1920年前後の初等理科実験法研究は,日露戦争下の経済成長政策と理科教科書の使用禁止とによって試みられた,教育品開発研究および簡易理科実験の開発を引き継いで,時局に対応して盛んになったものであること。 (2)その中で,1880年代後半に簡易理化器機の開発に尽力した後藤牧太の門下生たちが,簡易理科実験の開発研究を継承し続けていた年代の簡易実験の開発研究の成果を引き継いでいたことが,時局に機敏に対応できた要因であった。 (3)また,heuristic methodをわが国に紹介した棚橋源太郎は,「教育品研究会」での活動を通して,その「実験室教授法」を後藤牧太らの仕事と結合する努力を行っていたことが明らかになった。
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