研究概要 |
インド中観仏教の勝義,世俗の二諦説を探究する主なる資料としてはKamalasila(c.740-797)の『中観光明論』である。二諦説のうち世俗を実,邪世俗に区分する。その峻別の基準はDharmakirti(c.600-660)のプラマーナ論、直接知覚論を活用して設定される。これはJnanagarbha(c.700-760),Santaraksita(c.725-786)を継承するものである。勝義に関しては,paramarthaの意味をKarmadharaya,Bahuvrihiの文法的観点から解釈し,前二者を真実,真如を特徴とする勝義,第三のものを,智を本体とする「道」としての勝義とする。これは,Vasubandhuの解釈法を踏襲するものであり,また中期中観派のBharariveka(c.500-570)の影響を受けるものである。以上の点を明らかにし得ている。 チベット仏教の二諦説を究明する資料としてはTson kha pa(1357-1419)の『菩提道次第論』(Lam rim chun ba)観(vipasyana)の章を中心としている。そのチベット語テクスト校定を,さらなる綿密な校定を必要とするが,A4版65枚に収めている。またその訳出も,ほぼ全体のものを終えているが,なお正確な解読を必要とする。インド仏教との関係という点での問駿点は,Candrakirti(C.600-650)を正統的な中観思想として継承するTson kha paはKamalasilaの著述をも引用し,二諦説を論じるが,そこには解釈の相違が存在する。その主なる点は,二諦説(世俗と勝義)を凡夫と聖者の知識領域の問題として扱うか,あるいは,修習次第という凡夫と聖者の階梯の問題として捕えるかという点に表われていると言えよう。この点は「観」の修習が,二諦説とどう関係するのかを克明にする必要がある。それにはLam rim chun baに示される二諦説の分析と引用されるKamalasilaの『修習次第』の意義を十分に理解する必要がある。
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