研究概要 |
二諦説と三性説 中観派と唯識派との論争及び思推方法の相違は、二諦説と三性説、換言すれば「空」に対する解釈の相違となって現れている。その問題点を以下の点から検証した。 I.唯識派の〈実在(vastu)における言葉の空〉の見地、それに対し後期中観派は、言葉のみならず言葉を離れた事物自体(vastum〓tra)をも世俗と位置付け、空と見る。 II.唯識派の〈依他起性における遍計所執性の空〉の見解、それに対し中観派の遍計所執性を邪世俗、依他起性を実世俗とし、両者とも勝義としては空と見る見地。 実世俗の基準は、明瞭な顕現を有し、無分別であり、かつ因果効力(arghakriy〓-samartha)に関して整合性を有することである。(二依他起性) 邪世俗とは、逆に分別に基づき、因果効力に関して整合性を有さないもの(=遍計所執性)である。 この実、邪世俗の設定はJ〓〓nagarbhaの『二諦論』8,12偈、〓〓ntaraksitaの『史観荘厳論』64偈などに見られる【.encircled1.】凡夫の常識としての“世俗"である。他方、【.encircled1.】ヨーガ行者が止観の修習による吟味検証を通じ判定する“世俗"である。これは『中観荘厳論』91偈やKamala〓ilaの修習次第に見られるものである。これにも実・邪世俗が設けられると考えられる。【.encircled1.】の凡夫の世俗(実・邪)と【.encircled2.】の唯心世俗説はレヴェルの異なる世俗である。
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