CDなどで演奏者が、当時の楽器もしくはその複製を使用することのみを理由に、古楽演奏を売物にすることが多く見られるが、それはあまりに安易な考え方と言わねばならない。歴史的に忠実な演奏は、使用楽器のみで実現できるものではないからである。歴史的事実を知るための最も重要な手がかりは、当時の理論書である。しかし理論書に述べられていることを拠り所としてバロック時代の演奏を再現しようとすると、一見解決できないかのように思われる問題に直面することが稀ではない。なぜなら当時の理論家達の見解が往々にして一致しないためである。見解不一致の理由としては、第1に地域によって演奏習慣が異なっていたこと(ドイツ、フランス、イタリアなどの違い)、第2に同じ地域でも世代が少し違えば演奏様式も変わっていること(例えばバッハの次男カール・フィリップ・エマヌエルが書いていることは必ずしも父親の演奏には通用しないこと)、第3に理論書の著者が当時の習慣に批判的であったために、ときとすると当時行なわれていたことの正反対を提唱していること(例えば、クリストフ・ベルンハルトは、ラテン語の歌詞をドイツ語式ではなく本来イタリア語式に発音して歌うべきであると説いているが、その発言は裏を返して言えば、当時のドイツにおけるラテン語の発音がドイツ式であったことを反映していること)等が挙げられる。古楽演奏を目指す音楽家が当時の理論書を拠り所にする態度は正しいにしても、それらを以上のような状況を考慮せずに受け入れると、多くのCD録音や音楽会で体験するように、歴史的事実に則さない、名目だけの古楽演奏にならざるを得ないのである。平成4年度には、以上のことに留意しながら、当時の理論書に書かれていることが、どの程度まで今日の演奏に反映しているかという調査を行なった。
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