フォンテーヌブロー派の宮延画家たちの最も重要な任務のひとつは、宮延のイデオロギーを媒介する祭礼の舞台(ページェント)を企画・演出することであった。伝統的な宗教的主題に政治的意図を織り込んだ華麗な舞台において、王権への忠誠と信仰との混淆が目論まれ、ひとときの仮設舞台であった祭礼の舞台の影響は、これまでに指適されている以上に諸々の芸術分野に浸透していると考えられる。本研究は、画家、彫刻家、建築家、ユマニスト、詩人、音楽家、舞踏家たちが協力した祭礼に関する文献史料及び版画という視覚史料を渉猟し、ヴァロワ朝末期の社会と芸術活動について考察することを目的とした。 研究方法は、第一次史料、即ちパリ国立図書館が所蔵するルイ12世からアンリ3世に至る祭礼関係の史料の解読を中心としたが、刊本とは言え、16世紀中葉までの活字は手稿とほぼ変わらぬものが多く、それ自体現在の活字に変換して出版する価値があるのではないかと思われた。多くは稀覯本もしくは現存する唯一の刊本であり、注文したものの中、何点かについては保存上の理由のためマイクロフィッシュ化が不可能であった。 本年度は、前年度に発表された、カトリーヌ・ド・メディシスの宮延画家アントワーヌ・カロンの代表作であり、当時の祭礼で上演された聖史劇の舞台を描いた「アウグストゥス帝とティブルのシビュラ(1580頃)」(『名画への旅』講談社、1992)についての内容を取り入れながら、16世紀フランスの宮延祭礼を、その形態的起源と考えられる<王の入市式>にまで遡り、そこからアンリ3世の暗殺によるヴァロワ朝断絶に至る展開を、国家体制の変容と宗教戦の時代の政略との関連において概観する原稿を執筆した。この原稿は、宮延祭礼の文献史料の翻訳とともに、来年度の富山大学人文学部紀要に掲載される予定である。
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