今年度の研究の視点は、前年度の研究、日常知を社会学的に研究するための一つの手がかりとして「いるはかるた」をとりあげ、その日常知能を検討し、その日常知は人間と社会を写し出すカメラとして機能し、一種の疑似的な社会学であるという延長線上に、次の4点を中心として展開したものである。 1)まず何を指して「いろはかるた」というか、その時代的、地域的背景などを検討し、俗言、諺などとの関連性のもとで、「かるた」が庶民のその時々の生活体験や意義を反映する日常知として機能したことを、「かるた」の存在形態を通じて検討した。 2)一般に人々は「いろはかるた」を使用し、理解していると考えられ、その意味について共通の理解を有していると考えられているが、「かるた」の意味内容は時代とともに変かしている。「かるた」が日常知として機能するためには、それを「かるた」を理解し、使用する共通の状況がなければならない。したがってその共通の意味理解とは何かを検討した。「かるた」関してその教育的、教訓的意味をはじめ、意味の暖味さ、多義性は生じる原因について分析し、「かるた」が世間の見方のモデルとして機能する状況について検討をくわえた。 3)「いろはかるた」が現代人にとってどのように受容されているかが問題である。「いろはかるた」への関心と理解度を、仏教大学通信学部の学生を対象に調査し、その結果を分析しし、そこに見られる一般的な傾向を指摘した。 4)以上の結果を踏まえて、日常知としての「いろはかるた」とは何かを捉える社会学的視点を明確にし、知の社会学、その知識社会学的にとって新たな問題は何であるかを考察しようとした。
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