研究概要 |
まず、昨年の史料読解の過程で打ち当たったoralityの問題を考えるべく R.Thomas,Oral Tradition and Written Record in Classical Athens,Cambridge,1989の摂取につとめた。彼女は、文字の発明を革命的出来事であったとするHavelock説を批判して、oralityとliteracyとの混在を強く主張し、古典期アテナイについてoralityとliteracyの提出するいくつかの問題について論じている。われわれの扱い慣れた文字史料の背後に広がる口承社会の存在を広く認識させた価値ある研究だと言える。 この研究に導かれて、oral traditionを考える上で重要な史料となるアンドキデスの弁論を翻訳してみた。この弁論はこの問題のみならず、その他のギリシア史上の問題を考える上でも非常に重要な史料となるもので、初めての邦訳の持つ意義は大きいと考える。そして第三弁論に現れる彼の歴史認識の不正確さから、oral traditionの変わり易さを確認するとともに、第一番弁論で語られる内容などから口承社会の根深さをあらためて実感することが出来た。 ついでこの成果の上にホメロス研究に着手した。これはoralityの問題を考える原点がM.Parry以来のホメロス研究にあることがわかったからであり、当研究の史料としても、M.Stahlが史料の口承的性格を踏まえて提唱するように伝承を可能的過去として考えるのであれば、ホメロスの両叙事詩を使うことは問題ないはずであり、否むしろ抒情詩や哲学の断片より解釈が容易であるから、まずホメロスの読解を果たしておく方が今後の研究の展開のためにも有利であろうと考えたからである。その際oralityの問題と絡んで19世紀以来の膨大な研究史を踏まえておくことが必要で、その摂取の作業は現在も続いている。
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