研究概要 |
ダンが1610年に『偽殉教者』を書くきっかけは前年1609年にバーロー(W.Barlow)が同じくジェームズ王を擁護する目的で出版した『カトリック英国人への返書』(An Answer to a Catholike English-Man)であった.バーローは,そこでそれまでの「忠誠の誓い」をめぐる論争の構成,つまりジェームズ王が『忠誠の誓い弁明』(An Apologie for the Oath of Allegiance)(1607年)で行った論争構成に従って王を擁護した.ジェームズ王の論争構成はバウロ五世の二度にわたる教書とベラミーノの書簡を取り上げ,それらに反論するという形を取っている.ジェームズ王の目的は「忠誠の誓い」が教皇の霊権には触れず,なおかつ「世俗的」性格を有するものである故,教皇は王に対して干渉できず,英国内のカトリック教徒も何ら問題なしに「忠誠の誓い」をたてることができることを主張することにあった.バーローの書はこの王の反論方法に従ったために単に王に追随しただけという印象を与えかねず,説得力と新鮮味に欠けている。 ダンは『偽殉教者』を書きあげる際にもし彼が王の反論方法に従って王を擁護すれば結果はバーローの書と同様のものになることを十分に警戒していた.それ故ダンはそれまでの反論方法に従わず,王とカトリック教会とりわけジェズイットとの論争の根幹-王権神授説,教皇の俗権,「忠誠の誓い」の世俗性-に焦点をあて,王を擁護することになる.ダンは王の『弁明』が『偽殉教者』を書く際にし大きな影響を与えたと言っているが,極力王の著作や従来の論争書に言及することを避けている.ダンの書が王に好印象を与えたのはダンが従来の論争方法を打破した結果であり,論理の展開とバーローが余り扱わなかったがしかし王が論じてほしかった問題点の説得力に満ちた論議の結果でもあった.
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