研究概要 |
ジェームズ王の発した「忠誠の誓い」のなかで最も物議をかもした点はカトリック教側の「王殺し」容認であった.この王殺し理論の発案者と言われているのがスペインのジェズイット,ホアン・デ・マリアナ(juan de Mariana)であった.彼を始めとするジェズイットは,民衆による支配者への権力譲渡説を主張し,ジェームズ王の王権神授説とは真っ向から衝突することになった.マリアナは『王と王の教育について』のなかで,この権力譲渡説を扱い,支配者が民衆の意に沿わないときは,その支配者を殺害してもよいとの見解を述べた.マリアナは正当な王殺しではなく,暴君殺しを論じたものであったが,反ジェズイットの空気が高まりつつあった17世紀初頭,マリアナの暴君殺しは王殺しに変えられ,マリアナ=王殺しという図式が出来上がってしまった.この誤ったマリアナ観は大陸及び英国で一般人だけでなく,ジェームズ王やダンのような学識のある者達によっても受け入れられることになった.本研究では,マリアナの王殺し説を彼の著作から吟味し,いかにそれが誤って受け入れられているかを見,最後にジェームズ王やダンの王観との比較のなかで,マリアナの王殺しに考察をくわえた.そして,ジェズイットの見解とジェームズ王やダンの王観がいかに異なっているかを究明した.いかにマリアナが誤解されたのかを解明することは今後の研究の課題となるであろう.誤解されたマリアナ観がいかにして作られていったのか.反ジェズイット派は,過激なジェズイットに対抗するために,彼らの著作をただ盲目的な攻撃の対象としたのか.絶対王政から市民社会への移行期のまっただなかで,王権神授説は過去の遺物になりつつあった.本研究では,ジェームズ王とジェズイットの争いの根底にある王殺しから論を勧め,両者の見解の相違の原因を解明した.
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