[1]第二共和政末期の大統領ルイ=ナポレオンのもとに、1850年のファルー法解釈をめぐる教会と国家との抗争を追究し、クーデタ後1年間における公教育大臣フォルツールの権威主義的教育改革、さらに第二帝政の前期を特徴づける権威帝政においてフォルツールが帝政の教育行政権力の強化を狙った1854年6月14日法の理論的意義と政治的・宗教的影響を明らかにした。権威帝政から自由帝政へ構造転換する前後の公教育大臣ルーランの反教権主義的教育政策の目的とその諸成果について考察した。自由帝政期を代表するヴィクトール・デュリュイの自由主義的教育改革と、やがて第三共和政期における近代教育の3大原理すなわち無償性・義務性・世俗性の萌芽としての1867年4月10日法とを考察した。なお、産業化の要請に応えるために技術知の編成としての職業教育の学校化の諸改革の試みも究明した。 [2]第三共和政期の教育闘争過程で、近代教育3大改革原理すなわち無償性・義務性・世俗性の制度化について、議会内の議論状況を究明しつつ、考察した。まず1880年代の教育民主化促進の諸潮流として、(1)1870年の普仏戦争の敗北からの教訓、(2)教育連盟とジャン・マセの活動、(3)社会主義的労働運動、(4)ジュール・フェリーとポール・ベールのような教育改革に生涯を捧げた指導的人物の存在、について「コンジョンクチュール」の視点から解明した。ジュール・フェリーは、無償性・義務性・世俗性を同時に規定する一つの法案を提出せず、この3つの問題を巧みに分断する方策を選んだ。したがって、3つの観念はある程度関連しているけれども、別々に考察した。義務性・無償性・世俗性の制度化について、それぞれ具体的な諸法案の内容とそれをめぐる改革派とカトリック勢力との論争過程を究明した。
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