フランスでは、18世紀中頃から教育の教会専管体制に対する批判が起こり、1789年革命後、教育体制の世俗化をめぐって教会と国家との間で論争が議会内外で展開され、この「教育闘争」は、大体において第三共和政期に近代教育の3大改革原理すなわち無償性・義務性世俗性の制度的確立をみることによって、一応の終結を迎えたのである。 したがって、本研究は、最初から「学校の制度化と国民統合」の諸過程に関する全体像の解明において実証性をできるだけ確保するために、いかなる史的コンテクストのなかで、また、どのような言説と議論文法を用いて、教育論争が展開されたのか、という問題への接近を試みた。 本課題は、端的に言って、教育の教会専管体制から国家専管体制への移行過程が、フランスの近代国家の形成をどのように特徴的に規定したのか、という問題について、内在的動態史の観点から追究することであった。関係資料を分析しながら気づいたことは、1789年革命の理念がフランスの近代化の様々の試行形態を通底していることである。その意味では、フランス革命の理念は、アンシャン・レジームを原理としてのみならず体制としても崩壊させ、レジーム・モデルヌを形成・発展させる強力な思想的条件であった、と言えよう。教育改革の史的展開においても、革命期に嚮導的役割を果たした改革構想は第三共和政の制度的実体化を見るまで生き延びて自己貫徹していた。 教育政策は、産業化や普通選挙制の導入による政治・社会・経済的構造の変化に伴う問題群への現実的な対応として遂行されてきた。その過程で、人文知中心の知の編成が揺らぎ、技術知の編成としての「職業教育の学校化」が推進され、産業化社会化の要請に応える学校の整備が着実に遂行されていった。教育闘争という光源を通して、近代国家の形成過程における国民統合の内在的実体化の諸相に照射することができた。
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