研究概要 |
イタリア・ルネサンス期の建設活動における職人組織の様態を把握するために,まず初期ルネサンスに職能としての建築家像が形成されていく過程を明確にした.十四世紀フィレンツェのドメニコ派修道院サンタ・マリア・ノヴェッラでは修道院内の職能分離によって早くから呼称されていた「建築家」がその技術的な水準の高さから,やがて公共建築や大聖堂のヴォールト架構等の助言者として修道院外においても活躍するようになる実態を明らかにし,十五世紀前半においては,世俗の職人組織の中から,異なったタイプの3人のマエストロ,フィリッポ・ブルネレスキ,ミケロッツォ・ディ・バルトロメオ,アントニオ・ディ・マネット・チャッケリがが「建築家」と呼ばれるようになったかを,彼らが携わった建築現場の様態を示す建設記録とルネサンス期の市民的人文主義者による建築に対する論述の中に現れる記述表現の変遷を文献学的な側面から検証し,職人組織の中でのその職能の分化過程に見出し,建設職人組織の様態の相貌を明らかにする手掛かりとした. 中世期の都市停滞期に喪失した建築家像が十五世紀に入ってアルベルティの『建築論』の中で再び構築されていったが,同時に現在なおイタリア都市の性格を物質的に規定し続けている建築の文化的地平が都市機能充実の気運によって営まれた建設活動の中で培われた技術と職人組織とその建設法のシステム化によって支えられたことをさらに裏づけた. ルネサンスの都市化現象に通底した芸術生産活動における組織編成の変容とその過程を射程することによって,ルネサンス期の芸術文化,都市文化の相貌を正確にすることとした.イタリアの中世末期から初期ルネサンス期にかけての職人工房における組織的制作の手順を多次元的に把握することを試みた.
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