本研究は、「外国人も自然な日本語が使えるはずだ」と「コミュニケーション能力は文型知識だけでは養えない」に基づく教科書を作成するために、1.ふつうの日本人が実際に使っている日本語を観察・分析し、2.円滑なコミュニケーションに必要な知識とは何かを整理し、3.それを教科書の形にまとめようとするものである。 計画の1.2.に関して、従来の文型主義に基づいた初級教科書が取り上げていない点で、円滑なコミュニケーションのためにはぜひ知っているべきものが多いことを確認している。例えば、カラとノデの用法の違いのなかには、知らないと相手の不快感を与えかねない点もある。また、格助詞について一般に「話しことばでは省略できる」と記述されてきたもの(たとえばハ、ガ、ヘなど)は、じつは、「本来あるべきだが省略され得る」のではなく「話しことばでは決して現れない」と記述すべき状況があることも明らかになった。従来の教科書の記述が事実に合わないことが明確なこれらの点については、本研究がめざす教科書で正しい記述を行うことができる。 しかし、これらとは別に「時事刻々変化する日本語の実態をどの程度教科書に反映させるか」が問題となっている。従来「〜と言う」と言っていたものを若い世代は「〜とか言う」と言うことがきわめて多い。「人工的でない」自然な日本語を学習者に教える教科書の開発を目的とする本研究は、こうした現象に無関心ではいられない また、これまで「主人」と言われていたものが、今日では「夫」と呼ばれることもかなり一般的になってきた。この種の変化については、日本語教育の現場での意識の低さを指摘する声も上がっている。日本語に現れたこうした変化のそれぞれを初級日本語教科書にどう取り上げるかは、コミュニケーションを主眼とした言語教育が宿命的に逃れ得ない問題であり、なお検討の余地がある。
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