交付申請書記載の研究実施計画に即し、『カリゴネー』においてヘルダーが旧師カントの『判断力批判』に突きつけた批判を検討した。これにより、 (1)ヘルダーは一方で趣味判断が普遍性を請求するという旧師の主張を趣味の多様性に損害を与えるものとして批判したが、他方で趣味は「民族」といった構成単位における教育によって形成されるものでなければならないと主張しており、その意味で彼の趣味論も普遍性を免れていないこと (2)しかし、この矛盾はヘルダーの批判が言及するに値しないことを意味するのではなく、その批判が普遍性のありようをめぐるものだったことを意味しうること (3)そして、カントにおいてもこの普遍性のありようが実は揺れており(ヘルダーはこのことを敏感に感じ取っていた)、『判断力批判』における「超越論的」趣味論とは別の「経験的」あるいは「心理学的」趣味論が主として人間学講義において展開されていたことがその証左となりうること (4)この二種の趣味論の比較検討を促す点にヘルダーの批判の意義は存しており(これまで『カリゴネー』が言及されることはきわめて少なく、言及される場合もカント批判とは切り離して位置づけられるのが常であった)、趣味判断が普遍性を請求するというカントの主張はこの比較検討によって捉え直されるべきであること を明らかにした(これらをまとめたのが、下記「研究発表」に記載の論文「『カリゴネー』におけるヘルダーのカント批判の意味するもの」である)。
|