本研究のおもな目的は近代ドイツ語圏でその言説を活発に再生産しつづけた「新しい人間」の概念を、ローベルト・ムージルを中心として具体的に検討することにある。それも通常の思想史的・神秘主義的な観点から「新しい人間」を読み解くのではなく、あくまでそれらが母体であることは踏まえながらも、近代科学とのかかわりでこれを究明するものである。 平成16年度はムージルの「マッハ主義」を研究した。ムージルは生涯にわたりエルンスト・マッハの科学思想、いわゆる「エレメント論」の影響下にあったが、これは現在までに、研究史上の常識とされながら、にもかかわらずその影響力の深度はまるで明らかにされてこなかった。そこで本研究では、ムージルの大作『特性のない男』が徹底的に「マッハ主義」の相貌を帯びていること、たとえば、『特性のない男』の「特性のない」という用語法自体が、マッハに由来することを明らかにした。ムージル研究では今日でも、「特性のない男」とは無個性の男や、俗世を超越した男であるとの臆断がまかりとおっている。しかしマッハのテクストとつきあわせつつ『特性ない男』の目立たない一語一語を仔細に検討すれば、「特性のない」とは、マッハの言う万象の共通組成分、「人と世界」の区別を融解させる「エレメント」にまで「特性」が還元されてしまった、という事態を意味している。つまり「特性のない男」とは「エレメント製の男」を意味する。また、これを明らかにする際に、これまでは等閑視されてきた有象無象のマッハ主義的言説と反マッハ主義的言説、そして時代の終末思想と科学主義を広汎に顧みた。マッハその人は「新しい人間」を語らなかったが、ムージルは独自の黙示録的意識と、同時代の科学言説をたくみに「エレメント論」に混ぜ合わせ、みずからの想像する「新しい人間」の創出を模索する。その過程を検討した。
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