平成17年度は、前年度にひきつづき、ムージルの「新しい人間」概念の研究をおこなった。まず、ムージルにおけるマッハ思想の受容を再検討し、それがムージルの独特の人間観にどのような影響をあたえているかについて、考察した。その際、いまなお日本ではなじみの低いマッハ思想を読み解くことと、ムージルの同時代のコンテクストに留意してその受容を理解することの2点を重視した。それによって、(1)ムージルの思想とマッハの思想の差異、つまりムージルがマッハを受容した際に起こった思想上のズレを強調した。また、(2)ムージルのマッハ受容を、両者の単線的な影響関係という観点からのみ捉えるのではなく、時代の知の情勢とムージル以外のマッハ受容者が、ムージルにあたえたさまざまな影響に注目した。 ついで、ムージルと、かれと同時代の新エリートとの共通点および差異を考察した。ムージルの時代には、18世紀末以来のドイツ教養主義が没落し、人文主義ではなく新時代の学問である自然科学や、科学技術の知識・技能がエリートにもとめられるようになっていた。本研究は、ムージルの『特性のない男』と歴史資料を手掛かりに、当時のエリートの精神的特質を考察し、それらとムージルの性向とがどのように通底し、また異なっているかをさぐった。その際、『特性のない男』のなかで用いられた語の特徴に照明をあてた。そうすることをつうじて、この作品では、主人公の体験や知覚が、自然科学や科学技術の術語で修飾されて表現されていることを説明した。
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