今年度は、現代社会を考察する上で重要に思われる「情報」あるいは「管理」という問題について、サディズム・マゾヒズムの観点を組み込みながら、一つの論文と、解説あるいは書評という体裁をとった数本の論文を完成させた。以下、種別に三つの点から、今年度の研究実績を記しておく。 第一に、前年度に着手した、M・フーコーの思索におけるマルキ・ド・サドの扱いに着目した議論を再構成すべく、M・フーコーがサドに言及する際に提示した「反有機化された身体」とその「喜悦」という概念と、G・ドゥルーズ&F・ガタリの「器官なき身体」という概念とを綿密に比較した。帰結として、現代の「管理社会」の問題点にまで言及するに至ったこの考察は、現代社会理論研究第15号に掲載の「反有機化された身体とその喜悦を巡って--後期フーコーの一視座軸--」に結実した。 第二に、現代を代表する思想家東浩紀について、彼の展開する情報社会論から、一見錯綜的に見える彼が行ってきた一連の活動を概括した。その解説は、大航海No.55「現代日本思想地図」の東浩紀の項目「東浩紀 人間はいかに人間たりうるか」として掲載された。 第三に、雑誌10+1において、「新たなコミュニケーションの座標軸」という題で、数冊の本をとり上げ、既存のコミュニケーション概念あるいは関係の問題点を指摘し、新たなコミュニケーションのあり方の機軸を提示する報告を数回行った。それらは、「共感とテレパシーのあわいで」(No.40)、「今、芸術作品に出会うということ」(No.41)、「ポピュラー・サイエンスは何と等しいのか?」(No.42)として結実した。 なお、今年度の9月より、相愛女子短期大学にて、「近代的人間観の諸問題」と題する講義を行った。そこでは、動物からの差分として定義される人間としての近代的人間、あるいはそのように説明する近代的人間観を検討した。
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