本研究は昭和初期の農村経済更生運動を地域振興事業として捉えなおし、近代日本における地域振興の自律的展開のメカニズムを解明することを目的としている。 今年度は分析対象を更生運動が開始する以前の大正期まで広げ、調査対象地である群馬県勢多郡北橘村の中でも特に同村大字下南室および真壁を中心として、区有文書や諸家文書などの収集・整理・解読、聞き取り調査に取り組みながら、昭和戦前期の暮らしを復元した。また、群馬県における北橘村更生運動の他村へのインパクトや交流事業などを明らかにするため、群馬県立図書館の上毛新聞マイクロソフトを活用し、当時の関連記事の収集と分析をおこなった。 その結果、更生運動とは単に生産・経済的側面のみならず、生活や教育など暮らしの隅々までの改善であること、そのためにひとつのムラの中で更生運動以前から機能してきた同族団をベースに展開し、そのために老若男女が担い手として参画しやすかったことなどを明らかにした。 さらに、暮らしの改善の具体的な取り組みにあたっては、各市町村の村長や学校長だけではなく、農会技師の存在が必要不可欠であったことを「農事実行組合日誌」や「農会技師日誌」などから実証的に解明した。各市町村の農会技師は主に農業技術の普及など生産的側面からの評価が一般的であったが、味噌や醤油づくりの指導、農村青年リーダーの育成につとめるなど「暮らし」全般の改善に不可欠な存在であり、従来の農会技師の役割や更生運動リーダー像の再解釈の可能性を指摘した。
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