本年度は大究竟思想史に関する研究、及び初期大究竟思想の研究を行なった。先ず大究竟思想史の研究に就いては、古密呪派が伝える諸文献にあたり、その多くがガラップ・ドルジェ、マンジュシュリーミトラという後期インド密教期に活躍した思想家にその起源を帰しているという知見を得た。従来の学説では、大究竟思想は主としてその教義上の類似という観点から、古代チベットにおける仏教移入後、仏教思想が中国禅の影響を受け形成されたものと考えられているが、チベットにおける仏教移入以前、即ち八世紀以前のインド密教の発達期に活躍した思想家の著作に、既に大究竟思想の初期形態と思われる記述が見られることから、大究竟思想の形成過程を見るためには、インド密教の発達期にみられるこうした大究竟思想の萌芽的思想と、その形成過程に影響を与えた中国禅の思想という、二つの観点を総合的に研究する必要があることを理解した。 また、初期大究竟思想の研究については、ヴァイローチャナの手になるとされる五書を中心に研究を行った。これらの典籍にみられる基本思想は、概念的思考からの超越、真理位相としての原基のあらゆる相対からの超越、修習における無努力の強調、取捨という概念からの離脱、現象世界の本来清浄性であり、後に体系化をみる大究竟思想の基本思想が既に素朴なかたちで表現されていることが分かった。また、これらの五書は今日では大究竟思想の心部の基礎文献と位置づけられているが、その中に既に界部・教誨部という形で分類される大究竟典籍に見られる思想の原形が見出されるとの知見も得た。従って、これらの初期文献が大究竟思想の形成過程において如何なる思想的変遷を経たかという問題については、さらに広範な典籍にあたり研究を継続する必要があることを確認した。
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