韓国・朝鮮の地域研究で中心的な研究対象の一つとされてきた「両班」という存在ないし概念について、大韓民国ソウル特別市周辺で行った現地調査と資料収集の結果をふまえ、既存の見解を問い直す作業を進めた。 近代以降の韓国・朝鮮や日本の学界や社会一般において、「両班」は韓国・朝鮮の伝統文化の具現として認識されてきた。だが、これまでに知られてきたのは、地方集落で出自の優位牲を強調して暮らす在地士族層やその子孫たちだけだった。本来「両班」が社会的に優位であるのは、朝鮮王朝の科挙に及第し、官吏として王朝の権力を享受できたからであったが、絶え間なく科挙に及第し、中央官吏の家柄としての地位を守っているような在京士族層やその子孫たちについては、研究されていなかったのである。 本年度の研究では、研究対象としての「両班」のこのような不均衡が起きた経緯を明らかにし、裏面のとおり発表してきた。また、前年度までに得た在京士族層やその子孫たちの動向に関する民族誌データを整理し、特にこれまで「両班」の文化的特徴や社会的地位と結び付けられて考えられてきた朱子学思想とは距離をおく、「実学派」と呼ばれる在京士族層の人々とその子孫たちの文化的特徴や社会的地位について、深く考察していく基盤づくりに勤めた。そして、在地士族層を偏重して「両班」を認識してきた近代以降の社会にあって、「実学派」の在京士族層がどのような軋礫と戦略を展開しているのかという問題について、深い議論の基盤となる研究成果をあげてきた。 本年度の研究業績にしては、研究者が以前に調査研究してきた韓国の民主化運動世代に関して整理したものもあるが、これらと以上の研究とは社会改革的思想を持って社会に参与してきた者たちが、変革の前後にどのようなことを考え、何を行い、そしてどう忘れられていくのかということに関する研究であるという共通点がある。
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