1845年から55年までカフカス全権総督およびカフカス軍最高司令官をつとめたミハイル・セミョーノヴィッチ・ヴォロンツォフのロシア帝国統治を研究することで、飛躍的な成果を挙げられた。本年度はモスクワ国立大学歴史学部に長期間フィールドワークすることで、日本でほとんど知られていない現地ロシアでの先行研究や一次史料を幅広く網羅することができ、この研究成果の一部を学術論文として発表することができた。そして自身の博士論文である、ヴォロンツォフ総督によるチフリスを中心としたザカフカスでの内政政策と、シャミールとのカフカス戦争で新たに採用された「包囲戦略」の研究に大きな礎を築くことができた。とりわけヴォロンツォフ個人の政治姿勢の特徴を明らかにすることで、(1)彼のイギリス自由主義的思考が反映された内政政策がザカフカスでの政治的統合(総督府による行政改革、現地慣習ヴァフタン法の適用)、経済的統合(商業市場の奨励、地場産業促進としてグルジアのワイン製造やアルメニアのコニャック製造、農地改革による穀物栽培の拡大や農業組合の創設)、文化的統合(現地新聞の発行、劇場、学校制度、図書館、博物館、都市計画)に大きな成果をもたらしたこと、(2)ダルゴ会戦での敗戦(1845年)以後に遂行された、大会戦を放棄して小規模な衝突を繰り返しながら、チェチェンの森林を伐採してカフカス山岳民の生活領域を奪った「包囲戦略」が、シャミールとのカフカス戦争の終結に決定的な影響をもたらしたことを明確にした。これらカフカスでの統治政策を総合的に分析することで、ヴォロンツォフ総督を通した新たなロシア帝国像の学術的創造と、ロシア帝国カフカスでの「内と外」(クリステヴァ)を「戦争と平和」という観点から構築できたと考えている。
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