平成16年度はH・アーレントの政治哲学、特にその判断力理論の可能性を探るため、以下の作業を行った。 第一に、後期に属すると考えられているアーレントの判断力理論の起源として、彼女の初期のテクストに注目した。特に、『全体主義の起源』(1951年)の輪郭を形成したと考えられる「ユダヤ人国家」(1946年)、「ユダヤ人の故国を守るために」(1948年)、「平和か休戦か」(1950年)などの著作を調査した。この調査によって、彼女の初期の著作(1940年代から50年代初頭に執筆されたもの)と後期の著作(1960年代から70年代に書かれたもの)の間にかなりの連続性が存在することを発見した。 第二に、アーレントの政治思想を理解する一つの文脈として、近代ドイツにおける実存主義、決断主義的傾向を研究した。ここで実存主義というのは厳密な哲学的意味における実存主義ではなく、政治的実存主義と呼ばれる一連の著述家の思想、具体的にはM・ハイデガー、C・シュミット、F・ニーチェなどの思想を言う。この思想については、彼女の理論との間に表面的な類似性が見られるものの、あまり本質的な関連性は見いだせなかった。 第三に、アーレントと個人的な親交があったW・ベンヤミンの思想について、特にそのメディア論に着目しながら、研究報告を行った。ベンヤミンは一般的にアーレントとは異質の知的伝統を成すフランクフルト学派の哲学者であると考えられているが、両者における全体主義的なペシミズムに対する抵抗、文化の大衆的受容に関する寛大な立場は、このような背景を超えて両者を強く結びつけているように思われた。 第四に、日米におけるアーレント研究の比較調査を行った。日本ではポストモダン主義や実存主義との関連でアーレントの思想が理解される傾向が強いが、アメリカではアーレントと立憲主義、アーレントと国際法など、今日の政治問題を考察する上でアーレントの思想の持つ積極的な価値を探求する研究が多く見られた。
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