ソポクレス作品における「生まれ」概念の検討、および上演当時の社会における「生まれ」概念をめぐる言説との関係を明らかにするために、『コロノスのオイディプス』、『エレクトラ』、『ピロクテテス』を中心に研究を進めた。 『コロノスのオイディプス』については、作品内での血を分けた兄妹の父に対する態度の違いに着目しつつ「シュンゲネイア(血縁関係)」の社会学的側面を考察する研究論文を作成中である。すなわち、「シュンゲネイア」は単に生物学上の血縁関係にとどまらず、これを基軸とした家族間の扶養関係、心情的関係の総体である。本作品ではとりわけ「シュンゲネイア」のこうした社会学的側面が狭義の血縁関係以上に強調される事を明らかにする。 『エレクトラ』については、「父を殺した母を殺す」という家族同士の殺し合いに取材する本作品において、「生まれ」の概念が血族に対する義務の根拠とされると同時に尊属殺人を正当化するための根拠ともなる事を指摘し、「生まれ」という言説が状況と意図に応じて自由に操作されうる事に本作品が自覚的であると示すための論文を作成中である。 『ピロクテテス』については、「生まれ」の概念の自己認識の基盤としての側面に着目する。特に登場人物の「高貴な身分」という自己認識が劇のプロットと密接に絡んでいる事を示すための論文を準備中である。 これまで貴族主義的立場から「高貴な生まれ」を讃えたとされ、その枠組みの中で残存作品が解釈されてきたソポクレス理解に、新たな視点を導入する事となる筈である。更に、民主政ポリスの国家祭儀で行われた悲劇競演において、市民団のアイデンティティの根幹に関わる「生まれ」の概念が、従来考えられていた以上に様々な角度から取り扱われた事を示す事にもなると考える。これは、来年度以降、エウリピデス作品、アイスキュロス作品における「生まれ」概念を扱う上でも有用となる筈である。
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