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2005 年度 実績報告書

前2世紀後半から前1世紀前半における、アルシャク朝のバビロニア統治体制形成過程

研究課題

研究課題/領域番号 04J10542
研究機関東京大学

研究代表者

三津間 康幸  東京大学, 大学院・総合文化研究科, 特別研究員(DC2)

キーワード『バビロン天文日誌』 / アルシャク朝 / アレクサンドロス大王 / バビロン / バビロニア / ギリシャ・マケドニア系市民 / 王権 / 「アラブ」
研究概要

本研究ではまず、主要な史料『バビロン天文日誌(以下「日誌」)』の史料的価値の検討を行った。具体的には、アレクサンドロス大王のバビロン入城と、アルシャク朝のミフルダートI世のバビロン入城の記事を比較した。そこでは前者がバビロニア人にとっての「世界の王」として描かれているのに対し、後者も王ではあるものの、単に当時バビロンで有力であったギリシャ・マケドニア系市民によって王に推戴された者としてしか描かれていないことを明らかにした。このような差異は、『日誌』の書記が属するバビロンの原住民の共同体と王権との関係が、2世紀のギリシャ・マケドニア系市民の流入によって疎遠になったことが影響しているものと思われる。
続いて、アルシャク朝のバビロニア支配確立期の歴史に大きな影響を及ぼしたと思われる、前126/5年から106/5年にかけての「アラブ」と呼ばれる集団の侵入という事態の展開を、『日誌』から再構成した。前125/4年に「アラブ」の行動は略奪、交通遮断、バビロンの城壁破壊等の行為にエスカレートした。このような行動に対し、当初一部のバビロン住民は贈物を与えることで対処した。しかし、それはバビロンのコミュニティを代表するような人々による行動ではなかった。前123/2年頃にバビロニア諸都市における抵抗が次第に組織されると、そのような行動は見られなくなっていく。しかし、「アラブ」に対する抵抗はすぐ効果をあげたわけではなく、前120/19年から119/8年にかけても断続的に「アラブ」による略奪が続き、バビロン住民はバビロンから疎開しなければならなかった。「アラブ」の軍事的敗北が前112/1年の日誌に記録されているが、これによって「アラブ」はある程度の損害を被ったと思われる。そして、前106/5年に「アラブ」が「ユーフラテス河畔のセレウキア」と呼ばれる都市へ退いたことは、おそらくは「アラブ」による動乱の終結を告げるものであった。

  • 研究成果

    (3件)

すべて 2006

すべて 雑誌論文 (3件)

  • [雑誌論文] Office of rab kumari2006

    • 著者名/発表者名
      Yasuyuki MITSUMA
    • 雑誌名

      Nouvelles Assyriologiques Breves et Utilitaires 2005/4または2006/1(発表予定)

  • [雑誌論文] History and Historical Writing : Astronomical Diaries of Hellenistic Babylon2006

    • 著者名/発表者名
      Yasuyuki MITSUMA
    • 雑誌名

      3^<rd> International Conference on Ancient History, Proceedings (発表予定)

  • [雑誌論文] オリエント学会第47回大会発表要旨:アルシャク朝支配下のバビロニアにおける「アラブ」2006

    • 著者名/発表者名
      三津間 康幸
    • 雑誌名

      オリエント 第48巻第2号(発表予定)

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公開日: 2007-04-02   更新日: 2016-04-21  

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