研究概要 |
口頭発表「明朝における銀財政の成立と貨幣政策」(歴史人類学会例会,筑波大学,2004年7月2日)では,明代中葉に銀財政が成立した後に大運河で課される内地関税および京師(首都北京)における商税で銅銭の徴収が続いていた理由を分析し,大運河の関税における銅銭徴収は宦官の財源保持の結果に過ぎず,京師の商税における銅銭徴収は官銭の流通を図った施策だったことを解明した。そして,以後の貨幣政策が徴税における銀への換算・代替の徹底と京師への一方的・大規模な銅銭供給に向かっていったことを指摘した。これをもとに,論文「明,嘉靖〜万暦初年の船料・商税における銅銭と宝妙-銀財政最初期の貨幣政策の実情-」(『史境』第49号,35-48頁,2004年)を発表した。また,口頭発表「清,雍正〜乾隆初年の京師における戸工両部の制銭支出と禁旅八旗の兵餉」(第41回日本アルタイ学会,藤屋旅館,2004年7月19日)では,清代雍正年間から乾隆初年に京師において銭価(銅銭の対銀比価)が高騰した際,清朝政府が採算割れに陥りながらも銅銭を積極的に鋳造して八旗兵への給与の一部に支出していた理由を分析し,八旗兵は給与として銀を得ても民間で銅銭に兌換しなければならず,それが銭価高騰の要因になると同時に金融業者による銭価吊り上げを惹起していたので,清朝は八旗兵の生計を保護するため給与の一部を銅銭に置き換えていたことを明らかにした。
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