私の研究論文の研究テーマは、「全欧州安全保障協力会議(CSCE)への道、1969-1973年:イギリス、フランス、西ドイツ」である。ヨーロッパにおける冷戦の緊張緩和の象徴的出来事であった全欧安保会議が1973年に開催されるに至った国際政治過程を、西欧諸国を中心に史的分析を試みることが博士論文の目的である。本研究は、近年公開された一次史料の読解に基づき、ヨーロッパにおけるデタントのプロセスを、実証的に、また国際政治史として明らかにすることを重要な課題とする。 上記の目的のため、ヨーロッパへ渡り、イギリスおよびフランスの史料館を巡り史料収集を行った。英国政府公文書館において、まず首相府官邸および外務省の史料を半分ほど収集し、読解を試みた。その後、教官の指導に基づき、より多国間関係の視点を得るために渡仏し、現在、フランス大統領史料および外務省の史料の収集・読解を試みている。 これまでの調査結果から、以下の点が明らかになってきた。第一に、西側各国の外務省官僚のレベルで、安全保障会議の内容について詳細な研究がなされる一方で、その方針についてはさまざまな見解の衝突があり、西側としての一致した立場を構築することが困難であった。第二に、そのような見解の衝突をできるだけ隠し、西側が一致してデタントに前向きであるとの姿勢を示そうとしている姿が明らかになった。第三に、その際に、従来考えられていた以上にスチュワート英外相(労働党)の役割が重要であったことが判明した。ただし、労働党政権は1970年に選挙で敗北し、英国政府の方針も転換する。第四に、西側各国の政治家の対ソ不信は根強く、また安全保障会議への消極姿勢もより鮮明になってきた。 上記の調査結果に基づき、学術会議等での報告を準備している。
|