本研究は、近年公開された一次史料の読解に基づき、全欧州安全保障会議(CSCE)の開催に至る外交過程を中心に、ヨーロッパにおけるデタントのプロセスを実証的かつ国際政治史として明らかにすることを重要な課題とする。 近年公開された英・仏・西独、そして若干の米国の史料から、以下の諸点を明らかにすることができた。1.ソ連の安全保障会議の提案に対して、西側がどのようにそれを受け入れるに至ったのか、その過程を掘り下げられた。2.単なる欧州の現状維持を目指すソ連提案の安保会議を、西側諸国がどのように変容せしめ、西側にとってより実質的で意味のあるものにしたのか、それをCSCEの内容と手続きの両面から明らかにすることができた。3.安保会議においてEC諸国がヨーロッパ政治協力(EPC)の枠組みで協力し、大きな役割を果たしたことは既に指摘されているが、その政治協力がどのように成功するに至ったのかを実証的に解明することができた。4.米ソ超大国が共謀して安保会議を短期間のうちに終結させようと試みたのに対して、西ヨーロッパ諸国およびカナダは強く反発し、その試みを食い止め、安保会議を実質的で意味のあるものにすることを可能にした事実を明らかにできた。 一次史料に基づく1970年代初頭の詳細な分析によって、さらに、より長期的な冷戦の文脈におけるヨーロッパ・デタントの意味も浮かび上がらせることができた。安全保障協力会議を通じたヨーロッパの多国間デタントは、現状の固定化を目指す二国間の超大国デタントとは異なり、冷戦の対立を突き崩していくダイナミズムをはらんでおり、米ソ超大国はそれをコントロールすることができなかった。さらには、とりわけ西ヨーロッパ諸国が全欧安保会議を意味のあるものへと変革していき、引いてはそのCSCEが冷戦の歴史の中で重要な意味を持つに至ったことを本研究は明らかにできたと言えよう。
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