アイヌ語・アイヌ文化に関する研究はかなりの成果を上げているが、アイヌ語話者の日本語北海道方言に関する研究は皆無の状況にあった。私は、アイヌ語を母語として育ったアイヌ語話者が、どのような日本語(北海道方言)を身につけ、実際に話しているか、その自然会話を可能な限り録音し、これを保存するとともに、アイヌ語の干渉及び周囲の日本語話者の日本語北海道方言との関係について研究しようと考えた。 アイヌ語を母語として育ち、現在もアイヌ語を自由に話したり聞いたりすることのできる話者は、北海道内にわずか10名前後が健在であるにすぎない。それらの話者も1年1年亡くなっていく。大事な話者、静内町在住の織田ステノ氏(1899年生れ)、旭川市在住の荒井源次郎氏(1900年生れ)があいついで亡くなったのはショックであった。私は、そのうちの第一級の話者、北海道静内郡静内町在住の、葛野辰次郎氏(1910年生れ)に的を絞って、その日本語会話及びアイヌ語をデジタル録音し、一部はビデオ撮りすることもできた。また、同地域での日本語方言の収録をした。葛野氏も高齢なので、録音とビデオ撮りを可能な限り進める方針である。 今は資料の収集に重点を置いているので、その分析はわずかしかできていない。これまでに得られたアイヌ語話者の日本語北海道方言の特徴に関する知見としては、音韻面にはアイヌ語の干渉がはっきりと観察されるが、文法面・語彙面にはアイヌ語の干渉はほとんど見られないことが分かった。たとえば、音韻面の、サ・シャ行音及びザ・ジャ行音を混同すること、清濁の区別がないか混同が激しいこと、などは母語アイヌ語の干渉と考えられる。日本語北海道方言としては、彼らが日本語を身につけ始めた当時の、やや古い北海道海岸方言である。
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