平成5年度は、チャクラヌガラの住区構成について検討した。まず、街路の寸法体系から三つのレヴェルの街路からなること、マルガダサと呼ばれる街路で囲われたブロック単位(80戸)でカランと呼ばれるコミュニティが構成されること、各カランにはプラ(寺)がありコミュニティの核になっていることなどが明らかになった。また、バリのカランガセムの周辺の村の名前がカランにつけられていることも明らかになった。 チャクラヌガラは、カランガセムの植民都市であり、ヒンドゥーの都市理念に基づいて建設されたと想定されるが、その点で注目されるのがチャクラヌガラの王宮で発見されたというジャワの14世紀の年代記『ナーガラ・クルターガマ』である。その2章に「首都」の様子が書かれている。そこで、『ナーガラ・クルターガマ』の分析を行った。『ナーガラ・クルターガマ』は、必ずしも都市の構成そのものについて言及するものではなく、相対的な位置関係のみが語られている。これまで、ジョクジャカルタやマジャパイトの王宮を基にした復元が為されてきたが、むしろ、チャクラヌガラをもとに復元が可能ではないか、と考えつつある。 今後の展開として、まず、バリの諸都市とのより詳細な比較が必要である。また、ジャワの都市との比較が必要である。さらに、東南アジア、インドへ視点を広げてチャクラヌガラを位置づける必要がある。具体的に、インドの都市理念を現した『シルパシャストラ』、『マーナサーラ』との検討が必要である。具体的な都市としてジャイプールのような都市との比較を試みたいと考えている。
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