本研究は、インドネシアのロンボク島のチャクラヌガラという極めて明快な格子状の街区パターンを持つ都市の構成原理を明らかにした。街区の計画は明確な寸法計画を持ち極めてシステマティックになされていること、具体的には交差する東西南北の大路(マルガ・サンガ)、街区を区画する街路(マルガ・ダサ)、街区を四分する小路(マルガ)の三つのレブェルからなっていりこと、コミュニティーの単位である住区(カラン)の構成も極めて理念的に計画されたものであること、などである。 また、このチャクラヌガラの格子状街区の構成原理がどのような伝統に基づくのかについていくつかの考察をインド、中国・日本に視野を広げておこなった。まず言えるのは、土着の集落が基礎になっていること、また、バリのカランガセム王国の植民都市として、バリの都市計画(集落)理念が大きな原理となっていることである。バリには、ギャニャ-ル、ブグブグなど、似たパターンを持つ都市、集落がある。そして、ジャワのヒンドゥー王国、マジャパイトの都市理念との関係が強く推測される。14世紀ジャワの年代記「ナガラクルタガマ」は、チャクラヌガラの王宮で発見されており、その首都計画についての理念が参照されたことはほぼ確実である。 インドには、同じ18世紀にヒンドゥーの都市理念(マナサラ)に基づいて計画されたジャイプールがある。それに比較すると完結性はチャクラヌガラの方が低い。むしろ、街区の規模や構成の面では、日本の古代の都城(宮都)の方が近いように思われる。中国の影響も否定できないと考えられる。チャクラヌガラはいくつかの原理が重層する興味深い都市と考えられる。 中国、インドの古代の都城理念の比較を含めて、周辺諸国の他の具体的事例についての詳細な研究が次の課題となる。
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