研究概要 |
1993年の大雨とは対照的に1994年の天候は異常な「干天猛暑」となり,長崎県地方は深刻な「水不足」となった。そのため,1994年は幸いにして,雲仙岳周辺で規模の大きい土石流は発生しなかった。しかし,雲仙・普賢岳の活動は弱まりながらも,地下からの溶岩供給は続き,溶岩ドームは1995年1月には1,500mを超えるまでに成長した。また,山体周辺の火砕流および土石流による堆積物は確実に増加しており,1994年は事なきを得たが,今後においても土石流の脅威からは解放されない危険な状態にあることをしっかり認識したい。本研究で得られた成果の概要は以下の通りである。 (1)1993年の大規模土石流発生時の降雨はすべて名古屋大学RHIレーダーによって観測され,貴重なデータセットとなった。それらの解析の結果から,普賢岳を襲う強雨は西南西の方角から時速約60〜70kmで来襲したことが明らかになった。このことは,降雨の現況監視や防災対策の整備について重要な規範を与えるものであり,本研究によって得られた貴重な成果の一つである。 (2)3年間の度重なる大規模土石流にもかかわらず,犠牲者(死者)は出さなかったのは,(1)気象台から島原地方に出される警報が緻密になった,(2)島原市,深江町の行政・防災機関が避難誘導に尽力した,(3)住民が呼びかけに応じて早めに避難した,ことなどが理由として挙げられる。しかし,警報慣れと緊張感の弛緩もみられることから,今後一層の努力と実践的な研究が必要である。 (3)雲仙岳北麓(北側斜面)の地形と火山性堆積物を解析した結果,過去において数千年〜数万年の間隔で,大規模な火砕流と土石流が発生していたことが明らかになった。これらは火山活動と並行して発生しており,今回と同じような火砕流・土石流現象が,雲仙岳周辺で過去に何度も繰り返されていたことが確認できた。
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